京都の老舗跡継ぎ6人によるクリエイティブユニット『GO ON(ゴオン)』。伝統工芸の技術を現代、そして世界へと繋ぐ彼らの活動は、これからの日本のものづくりが生き残るための大きなヒントに満ちています。
今回は、伝統工芸の歴史を振り返りつつ、職人たちが「やりたいことをやり続けられる社会」について考えてみました。
明治政府を支えた「工芸品」という武器
意外に思われるかもしれませんが、日本はかつて「工芸品」で世界に戦いを挑んだ歴史があります。明治時代、資金不足に悩む政府が外貨を稼ぐ手段として選んだのが、七宝焼きや蒔絵といった高度な技術を要する工芸品でした。
当時のヨーロッパの人々にとって、日常に溶け込んだ日本の緻密な品々は驚異的な芸術品として映りました。現代の職人でも再現が難しいとされる当時の名品たちが、かつて世界を席巻していたのです。
「1億人の市場」という甘い罠
しかし戦後、日本のものづくりは大きく舵を切ります。機械化による大量生産・薄利多売の価値観が浸透し、高品質で高価なものより、安価で便利なものが優先されるようになりました。
それでも伝統工芸が細々とやっていけたのは、日本国内に1億人という厚い市場があったからです。「国内だけで十分に商売ができる」という意識が、皮肉にも海外へ目を向ける機会を奪ってしまったのかもしれません。
バブル期の豊かさは、古臭い工芸品よりもプラスチック製品への関心を高め、バブル崩壊後の経済停滞は、人々を「より安いもの」へと流し、職人たちの居場所をさらに奪っていきました。
1億人から、80億人のマーケットへ
『GO ON』のメンバーの一人である開化堂の八木隆裕さんは、お土産店で働いていた際に外国人が自社の茶筒を買い求める姿を見て、初めて海外の需要を意識したといいます。
国内の「総中流」が「総下流」へと変化しつつある今、日本国内だけで伝統を守り続けることには限界があります。これからは、1億人の内需にしがみつくのではなく、世界80億人のマーケットへ目を向けるべき時です。
職人が「やりたいこと」を貫ける社会へ
伝統工芸の技術は、一度失われれば二度と戻りません。中には梅ジャムのように、後継者がいても自らの代で幕を閉じる選択をする方もいますが、未来へと継承したいと願う志ある職人もまた多く存在します。
今の時代に「職人」という、一見して先が見えないように思える道を選ぶ人たちは、皆「自らやりたい」と願ってその世界に飛び込んだはずです。彼らが技術を磨き、正当な対価を得て、やりたいことをやり続けられる社会。それは、日本という国にとっても大きな「夢」がある姿ではないでしょうか。
「伝統は守るものではなく、攻めるもの」。『GO ON』が示すその姿勢が、日本中に広がっていくことを願って止みません。





