バットマンの悪役であるジョーカーが生まれるところまでを描いた映画『ジョーカー』
内容は障害者であるアーサーが中年を過ぎてもみんなを笑顔にできるコメディアンをめざして日々ピエロの仕事をしながら食いつないでいる。
そんな彼が嘘の希望を縋りついても彼の手をすり抜けていく。常識的に考えられる幸せをつかむことができない。そんな彼がまわりと自分のズレをどうにか合わせようとするたびに踏み外していく。
まわりのみんなと同じように合わせて苦しさ、ずれていることはわかるのに合わせることができないもどかしさという過度なストレスを感じながらも煙草によって理性を誤魔化している。
まわりに合わすことを止めアーサーはジョーカーとして自分の価値かでのみ生きることとなる。
僕たちは救いを探して様々なことに縋っている。少しまえまでは宗教だった。しかし、今ではインターネットによって様々な情報を見ることができるようになった。そこでは数限りない多様性がある。
でもそれ以上に常識的でみんなが同じことへと流れていき同じことを発言している空間でもある。ずれていいると思っている人にとっては今まで以上の疎外感を与えるようになってしまった。
ネットは欲しい情報を自分自身で検索することで情報を得ることができる。そのために自分にとってのネガティブな情報を検索してしまうとまわりとの疎外感はすさまじいことになる。
アーサーの疎外感は世間だけではなく、仕事場の同僚であるピエロたちの中でもある。同じ笑われる仕事でありながらアーサーは彼らから疎外される。彼に対して優しかったのは同じ障害者だけだった。
この作品がアメリカという個人の自由を尊重する。おかしなことをする人はたくさんいるという国で作られたこと今の社会事情の厳しさを感じ取れる。
日本のようなみんな同じ向きをむきましょうという感がの国ではなく、みんな自由な方向を向いていてよいと考えている個性を大切にする国ですら存在するまわりに合わすことへの息苦しさ。
日本のようにみんな同じでみんなと違うことは許さないという環境の人が見ることはどれほどのストレスを感じることだろうか。
現実を見せられて自分の立ち位置を認識してしまうことのストレス、もしかしたらジョーカーへの共感かもしれない。
アーサーのようにまわりとの違いに苦しむ原因は幸せではないこと、今の時代の価値観でいえばまわりに比べて貧乏であったり夢がかなった人が見えるようになったこと、夢がかなわないことが精神的な安定を壊していく。
人は
・健康
・お金
・人間関係
この3つがあれば精神の安定がもたらされる。これがない人は悟りでも開いていない限り不安が付きまとう2あるだけでも精神の安定という意味では大きく変わってくる。
今はお金も人間関係もない。健康だけはあるけど、将来どうなるかという不安の人が増えてきている気がする。
映画ジョーカーを娯楽映画として見られる人は何の問題もないがジョーカーへの共感、映画を見て言葉にできないストレスを感じる人がいる。
バブルの時代は多くの人が気にしなかった差が今の社会では多くの人が気にして疎外する。世の中が貧しくなるにつれて共感する人が増えてくる作品だ。共感した人がアーサーのように行動を起こしたときを考えると何とも言えない気分になる。