ふとカレンダーを見つめ、驚きを通り越して愕然としました。気づけば今年も、もう半年が過ぎようとしています。

正確には6月が終われば半年ですが、気分的にはもう、一年の半分という大きな塊が指の間をすり抜けてしまったような感覚です。

「光陰矢の如し」の本当の恐ろしさ

月日が経つのは早いもので、まさに「光陰矢の如し」という言葉通りです。しかし、本当に恐ろしいのは時間の速さそのものではなく、振り返った時に「自分は何をやっていたのか」がすぐには思い出せないことかもしれません。

あんなに毎日必死に過ごしていたはずなのに、具体的な記憶が霧のように霞んでいる。そんな自分に対して、「無駄に生きていたと言われても仕方がない」と、どこか後ろめたい気持ちになることもあります。

「無駄」に生きることは、悪ではない

けれど、私は思います。生産性や成果ばかりを追い求めず、ただ平穏に、何事もなく「無駄に生きる」ことは、決して悪いことではありません。何もしない贅沢や、淡々とした日常を積み重ねることも、一つの立派な生き方です。

ただ、たとえ無駄だとしても、「自分が何をしていたか」だけは、記憶の隅に留めておきたい。自分が確かにそこに存在し、その時間を呼吸していたという証拠を失いたくないのです。

記憶を繋ぎ止めるための「記録」

人は忘れる生き物です。だからこそ、こうして日記を書き、その時の思考や風景を残しておくことには大きな意味があります。後で読み返した時、「ああ、こんなことに悩んでいたな」「この日は雨が涼しかったな」と思い出せれば、その時間はもう「思い出せない無駄な時間」ではなくなります。

一年の半分が終わろうとしている今、残りの半年はどれだけ些細なことでもいいから、心に留まる瞬間を一つでも多く見つけていきたい。光のように過ぎ去る日々を、ほんの少しだけ引き止めるために、今日も言葉を綴ります。