11月も終わりに差し掛かり、ブラックフライデーの喧騒とともに財布の中身が寂しくなっていく季節。初雪の報せを聞きながら、今年もなんとか生き抜いた実感を噛みしめています。
ところで、皆さんは今年の「秋」を十分に楽しむことができたでしょうか?
一瞬で通り過ぎる「紅葉」の正体
先日、山沿いを車で走らせていると、山々が見事な紅葉に染まっていました。しかし、その美しさを眺めながら抱いたのは「やっと色づいたかと思えば、もう雪か」という戸惑いです。
気象学的には9月から11月が秋とされていますが、現実はどうでしょう。9月はおろか10月に入っても平然と30度を超える日が続き、森は青々としたまま。紅葉の「こ」の字も見当たらない日々が続いたかと思えば、11月に入り急ぎ足で色づき、瞬く間に雪が降りて葉を散らしてしまう。私たちが秋の気配を肌で感じられる時間は、今や1ヶ月にも満たないほどに圧縮されています。
壊れゆく四季の歯車
30年ほど前を思い返せば、確かにそこには「移ろい」という情緒がありました。春夏秋冬、それぞれの季節に固有の音や色があり、私たちはそれをゆっくりと味わうことができていたはずです。
それが今や、カエルやセミの鳴き声は1ヶ月も前倒しになり、緑の季節(夏)だけが異常に長く居座り続ける。これは私が忙しさゆえに鈍感になったからではなく、確実にこの国の季節の歯車が狂い始めている証拠ではないでしょうか。かつての当たり前が、贅沢な「幻想」になりつつあることに、拭い去れない物悲しさを覚えます。
秋を悼む
もはや日本には「四季」ではなく、長い夏と短い冬、その繋ぎ目にある数日間の「何か」しか残っていないのかもしれません。失われたあの豊かな秋の姿を、私はどうしても諦めることができずにいます。
なつかしき 秋の姿を 恋い焦れ
さまよい求め 赤い影みる
散りゆく紅葉の赤い影に、かつての美しい日本の面影を重ねる。そんな風に季節を「弔う」ような心持ちで過ごす11月の終わりでした。皆さんの目には、今年の秋はどのように映りましたか?






