夏が居座り、秋を飛び越えて冬がやってきた。日本全国で雪が観測される中、山々にはまだ紅葉がしがみついている。そんな季節の歯車が狂った11月、かつての日本を象徴した巨星が、ついにその輝きを失いました。

2023年11月22日、東芝の上場廃止。74年という長い歴史に、幕が下ろされました。

パージの果てに辿り着いた「終止符」

正直なところ、「なぜ今まで上場を維持できていたのか」という疑念の方が強い。危ういとされるたびに優良部門を切り売りし、パージ(排除)を繰り返しながら延命してきた姿は、もはやかつての技術の東芝の面影はありませんでした。有価証券報告書の提出を先送りにするような不誠実な体質を含め、この結末は遅すぎたほどかもしれません。

東芝の転落を語る上で、西室泰三氏の存在を避けては通れないでしょう。郵政でも手腕(?)を振るい、稼いでいない金で海外へ巨額の投資を行い、結果として負債という名のゴミを積み上げた。適材適所を無視したトップ据え置きが、これほどの速度で名門を壊していく。創立者・田中久重が草葉の陰で流しているであろう涙は、今の経営陣に届いているのでしょうか。

「物言う株主」という言葉の滑稽さ

今回の件でニュースを見ていると、相変わらず「物言う株主」という見出しが躍っています。しかし、これほど不思議な日本語もありません。会社とは本来、株主の持ち物であり、その価値を上げるために意見を言うのは至極当然の権利です。

それにもかかわらず、日本の経済メディアはあたかも彼らが「余計な口出しをする異分子」であるかのようなニュアンスで報じます。会社は社長や社員のものだという幻想、あるいは村社会的な甘え。経済新聞のWEBタイトルに使われるその言葉の裏に、私は日本の資本主義が抱える深い欠落を感じずにはいられません。

東芝の今後は、日本の未来か

シャープとは異なり、国内連合の手によって再建を目指すことになった東芝。しかし、名前が変わっても「中身」が変わらなければ、再びパージの歴史を繰り返すだけでしょう。74年の歴史をリセットした今、東芝が再び「真の経済」と向き合うことができるのか。冷え込む冬の夜、一時代を築いた企業の背中を見送るような、複雑な心境です。