シカやキジがで出てくるような田舎に住んでいるために、タバコを買うためにも車に乗らないと買うことができない。自分の好みのタバコを買うなら2,30分ほど走らないと買うこともできない。
その道すがら古くからあった家がなくなっていることに気づく、無くなった家はいい家だった。昔ながらの古民家で立てた人もそれなりのお金持ちだったんだろうと思わせるだけの広さがあった。今ではなにもなく家も撤去され更地となっている。
車で今はなき家の横を通るたびに見ていた歪みのある窓ガラスを観るたびに古い家だとは思っていた。気づけば誰も住まなくなり、家の前には貸し出しの看板が立ち、そして更地となってしまった。古いものは段々と無くなってしまう。それは仕方がないことだとはいえもったいないと思う気持ちはどうしても生まれてくる。
タバコ屋ではいつも買うタバコを4箱と別のタバコを3種類適当に選んで買う。いつも買うシルクロードは安全パイで冒険心として3箱別のタバコを買っている。
これで半年保つので2,30分かけてタバコ屋に来ても損をした気にはならない。その半年前に買っていたタバコでゴールデンバット、このタバコは製造中止になったので何箱か買って吸っていた。
あまり美味しいタバコではないが、あっという間に吸うことができてタバコの味がコーヒーを飲むときの味にそれほど影響をしないことがよかったためにずっと吸っていた。
ゴールデンバットは明治からの文豪たちのエッセイや日記によく出てくるタバコであり、昔からの古いタバコをそのままとして残っていた数少ないモノだったが時代の流れとは惨酷なもので、名前や古いモノへのダサさがこのタバコの命運を決めてしまった。
このタバコを吸っていて考えることは芥川龍之介や太宰治はどんな気持ちで吸っていたのかと遠き時代に思いを馳せることができなくなったということだろうか。
昔からの物は無くなっていく仕方がないことだとはいえ、悲しく思う瞬間があるが、この気持ちがノスタルジーとは思わない。
ノスタルジーとは自分の中で作り出した過去の情報で作り上げた幻想であり、自分の知らない時代を画いた作品ですら感じることが出来る幻想なのだと。
と話がそれたのでこの辺で。