ある思想本に「日本は西洋の思想を自分たちに取り込めていない」という一節がありました。その一因は、思想を語る人たちの「言葉」の在り方にあるのではないかと感じています。

わざわざ横文字にしなくてもよい言葉まで、カタカナで語りたがる人たち。今回は、そんな「難解な言葉に逃げる心理」について考えてみました。

横文字は「理解」ではなく「ファッション」か

西洋の思想を真に理解し、自分たちの文化に取り込む気があるのなら、まずは無理にでも日本語に変換できるだけの深い理解を持つべきではないでしょうか。しかし、動画などで思想を語る人たちの多くは、横文字を連発します。

「この程度の専門用語は知っていて当然だ」という傲慢さなのか、あるいは単にその言葉をファッションのように身に纏っているだけなのか。聞いている側からすれば、何を伝えたいのかが全く見えてこないことが多々あります。

「難しいことを難しく語る」という自己満足

本来、言葉の役割は「伝えること」にあります。本当にその思想を咀嚼している人であれば、できるだけ平易な言葉に噛み砕いて説明できるはずです。それにもかかわらず、もともと難しいことをさらに難しくして語るのは、単なる自己満足に過ぎません。

心理学的な観点からも、相手が理解できない言葉を多用する人は、実は周囲から「知性が低い(馬鹿に見える)」と判断される傾向があるといいます。自分を大きく見せようとする背伸びが、皮肉にも逆効果を生んでいるのです。

言葉を噛み砕く勇気

日本語には、外来の思想を翻訳し、血肉化してきた長い歴史があります。先人たちは苦労して西洋の概念を「漢字」や「大和言葉」に落とし込んできました。安易な横文字に逃げることは、そうした思考のプロセスを放棄しているのと同じではないでしょうか。

人に理解させる気がない言葉は、ただの独り言です。もっと簡単な言葉に噛み砕き、誰もが自分の人生に照らし合わせられるように語る。それこそが、思想を「自分たちのものにする」ための第一歩なのだと思います。

専門用語の壁に隠れるのではなく、自分の言葉で語る。そんな誠実な言葉に、私は触れたいと感じます。