先日、夕方のバラエティ番組で「月5〜6万円の年金で暮らす、働く80代」の特集を見ました。番組はいわゆる『お涙頂戴』のトーンで、こんなに苦労して生きている人がいるのだと、視聴者の同情を誘うような作りになっていました。

しかし、その内容を見れば見るほど、私はテレビ局側の姿勢に拭い去れない恐怖と違和感を覚えるのです。

なぜ「解決策」が語られないのか

国民年金だけで生活し、毎月5〜6万円でギリギリの暮らしをしているのであれば、制度上、生活保護を申請した方がはるかに人間らしい生活ができるはずです。取材に行ったスタッフは、カメラを回した後にそのことを伝えたのでしょうか?

もし何も言わずに「良い絵が撮れた」と去ったのだとしたら、それは人の不幸を商売道具にしている冷徹な人種だと言わざるを得ません。反対に、もし伝えた上で本人が「国の助けは受けない」と断っているのだとしたら、そこには根深い意識の矛盾が潜んでいます。

「迷惑をかけたくない」という言葉の矛盾

日本の高齢者の中には「生活保護は人様に迷惑をかける」と考え、頑なに拒む方が多くいます。しかし、トバリさんも仰る通り、今もらっている年金だって現役世代が払っている税金や保険料によって支えられているものです。

税金による負担という意味では、年金も生活保護も本質的な違いはありません。それなのに、片方は正当な権利として受け取り、もう片方は「恥」だと感じる。この意識のズレが、結果として80代になっても休めない過酷な現実を生んでいます。

テレビが映すべきは「感動」ではなく「制度」

番組に出ていた方々に同情する気持ちはもちろんあります。しかし、メディアの役割は「可哀想な姿」を映して消費することではなく、困っている人にどのような救済の手があるのかを正しく提示することではないでしょうか。

「茹でガエル」のように、徐々に悪化する社会状況をただ眺めるだけでなく、使える制度を使い、互いに支え合う。そんな当たり前の助言すら行われない取材現場があるのだとしたら、それは報道でもドキュメンタリーでもなく、ただの見世物小屋です。

テレビの中の彼らが、撮影の後に少しでも楽な道を選べるよう、誰かがそっと耳打ちしてくれていることを願わずにはいられません。