コンビニの棚で見つけた「リニューアル」の文字。2年前に食べて『美味しくない』と封印したはずのコロッケパンでしたが、そのポップに微かな期待を抱き、再び手に取ってしまいました。
しかし、それは新たな絶望への入り口に過ぎませんでした。今回は、味覚の対比を忘れた商品開発への、私なりの憤りをお話しします。
一口で蘇った、2年前の「あの味」
「もしかしたら劇的な進化を遂げているかもしれない」。そんな淡い願いは、一口目で脆くも崩れ去りました。口の中に広がったのは、記憶の底に眠っていたあの「甘さ」の猛攻だったのです。
コッペパンが甘い。コロッケのジャガイモも甘い。そして、たっぷりかかったソースとマヨネーズまでが、これでもかというほど甘い。ジャガイモの食感も、ソースの辛さも、すべてが「甘みと脂」という濁流に飲み込まれて、原形を留めていません。
「スイカの塩」を忘れた開発チームへ
甘いだけのパンが食べたければ、最初からクリームパンを選んでいます。惣菜パンとしてのコロッケパンに求めているのは、パンの甘みに対するソースのキレのある辛さや、ジャガイモのホクホクとした食感の「変化」ではないでしょうか。
人間が食べ物を美味しいと感じるのは、味覚のコントラストがあるからです。スイカに塩をかけるのも、マクドナルドの100円ハンバーガーがチープながらに成立しているのも、計算された「味の差」があるからです。
世界で一番売れているハンバーガーが当たり前にやっていることを、130円以上する商品で再現できないのは、一体どういうことなのでしょう。甘さだけで味の広がりができると思ったら大間違いです。
「美味しくない飯」がもたらす不幸
結局、一緒に買った100円のハンバーガーの方が、その安っぽい味ゆえに「マクドナルドの偉大さ」を再確認させてくれる良い仕事をしていました。
期待した食事が美味しくないと、その後の時間すべてが不幸に感じてしまう……。これは食を重んじる日本人ゆえの性(さが)かもしれませんが、私の午後は、この「甘すぎる絶望」によって見事に塗りつぶされてしまいました。
次にこのパンを手に取るのは、また2年後か、あるいは一生ないか。とりあえず今は、口の中に残る甘さを消すための、苦いコーヒーが恋しくてたまりません。






