富士山、日本を象徴する山の意外なトリビア

日本人なら誰もが知っていて、外国人が日本を思い浮かべるときに「富士山」「サムライ」「天ぷら」と口にする、それが富士山

でも、その雄大な姿以外は意外と知られていないことが多いと思いませんか?

実は、富士山は話のネタに最適な山なんです。ちょっとした富士山の豆知識を知っていると、きっと困らないはずですよ。

一番最初に富士山に登ったのは誰?

富士山に登ることは古くから行われていました。伝承では、聖徳太子役行者空海法然といった歴代の有名人が登ったと伝えられています。聖徳太子は推古6年に黒駒に乗って空を飛び、三日間で戻ってきたという伝説まであるんですよ。役行者にも似たような話があり、伊豆で捕らわれているときに夜な夜な抜け出しては富士山に登っていたという逸話も残っています。

これだけ著名な人物が登っているとされる富士山ですが、記録としてしっかりと残っているのは、実は9世紀の僧侶「末代(まつだい)」という人物です。彼は富士山に何百回も登り、頂上に大日寺を建てたとされています。

江戸時代から富士山は観光地だった

もともと富士山登山は、富士信仰として信仰のために行われていました。しかし、江戸時代中期以降に旅行ブームが到来すると、お伊勢参りや富士山登山が流行し始めたんです。

富士山に登ることは「富士講」と呼ばれ、江戸の人々にはかなりの人気でした。皆で集まって集団で旅行をするために「講」という団体を作り、「先達(せんだつ)」と呼ばれる指導者に導かれながら富士山に登りました。

もともと富士講の目的は富士山信仰でしたが、参加する人々の多くは、その先の観光や遊びがメインだったようです。この時代の富士山は観光地だったため道中が汚れており、地元の人には「富士は登るものではなく遠くから見るもの」とまで言われていたほど。

実は、富士山がきれいに整備されたのはごく最近のことで、それまでは登る人が何も気にせずにゴミを捨てていた時代がありました。

富士山に行けなかった人のための「山開き」

江戸時代中期頃には旅行が流行し、富士講として富士山に登るツアーもありましたが、今のように気軽に旅行に行けるようなものではありませんでした。まして、女性や子供は車がない時代なので、ずっと歩き通しで体力的にも大変な旅行だったようです。

そんな簡単に富士山に行けなかった時代には、江戸の各地に「富士塚」と呼ばれる、富士山を模して作られた小山が存在していました。これを登ることで本物の富士山に登ったのと同じご利益があるとして、江戸には100近くもの富士塚があったと言われています。

現在ではほとんど残っておらず、残っているものも保存のために登れる人が制限されています。

富士山に最初に登った女性とは?

古くから多くの山が女性の登山を禁止していました。理由として、山の神が女性に嫉妬するためだったり、霊山で神聖な場所であるためなどが挙げられます。

富士山の場合も霊山として、女性が富士山を登ることは禁止されており、低い位置までしか上ることができませんでした。そんな中、江戸時代に「たつ」という女性が、女性の富士山登頂の前例を作るために男装をして6人で富士山に登ったのです。

登った時期は富士登山が終わった時期で、登っている途中まで暑い日差しが差していたのに、頂上付近では雪が降るという困難を乗り越え、女性初の富士山登頂を果たしました。

「たつ」という女性は結婚後「高山たつ」という名前になりました。まさに日本一高い富士山に挑むべき名前の人物だったと言えるでしょう。

正式に女性が富士山に登頂できるようになったのは、1872年(明治5年)3月のことでした。

雪が積もる富士山に挑戦した初めての人物は?

富士山を登頂するには、山開きをしている短い時期にしか挑戦できません。それは、雪が溶けないと登れないため、登ることができる期間が短いからです。

それだけ雪山は危険だということ。その危険な雪山となった富士山に初めて挑戦した人は、実は外国人です。イギリスのベイヤード大尉1871年(明治4年)4月に、一人の日本人の少年を連れて挑戦したのが最も古い記録となっています。

富士山の信仰の主神は女神「コノハナノサクヤビメ」?

霊山である富士山は信仰の対象として、仏教にも神道にも扱われています。仏教では3人の仏が頂上にいるとされ、昔の富士山の絵には、富士山の頂上の三つの峰に一つ一つ仏様が描かれたものがありました。

神道の場合、コノハナノサクヤビメが主神とされています。

コノハナノサクヤビメが主神とされるのは、夫であるニニギノミコトとの間に子を授かった際、ニニギが「私の子ではない」と疑ったことに由来します。疑いを晴らすために、コノハナノサクヤビメは建物に籠もり、その建物に火を放ちました。燃え盛る火の中で3人の子供を産み、疑いを晴らしましたが、ニニギは疑ったことを悔やみ、富士山の火口に身を投げたと言われています。

コノハナノサクヤビメは火傷もせずに子供を産んだことから、火を鎮める力を持っていると考えられ、火を鎮める水の力を持つ女神として浅間神社に祀られることになりました。

浅間神社の歴史

浅間神社は、富士山には神が宿ると考えられており、一度噴火すれば甚大な被害が出るため、噴火しないように富士山に宿るとされる浅間大神を鎮めるために建立されました。始まりは紀元前27年(垂仁3年)垂仁天皇が富士山の麓に祀ったのが最初とされています。

現在の建物は、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利できたことへのお礼として、現在の二階建てで美しい朱色の建物に改築されました。現在の浅間神社は国の重要文化財となっています。

富士山の意外なトリビア、いかがでしたでしょうか? この記事をきっかけに、さらに富士山に興味を持っていただけたら嬉しいです。

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