11月も終盤を迎え、吐く息の白さに冬の足音を感じる季節になりました。この時期は仕事が立て込み、身も心も削られるような日々が続きます。
最近の私は、組織の歪みが生んだ「ヘイト」だけを一手に引き受ける、実に損な役回りを演じています。
「仕方がない」の板挟みで消える言葉
上層部からは「材料がないのだから、これを使え」と無理な指示が下り、私は現場にそれを押し込まざるを得なくなります。上には「無理です」と訴え、現場には「申し訳ないが、これしかない」と頭を下げる。しかし、現実に処理のしづらい物を目の前にした現場からは、当然のように嫌味が飛んできます。
小説や漫画の世界なら、この孤独な板挟みに耐える主人公を「誰かが見てくれている」という救済があるのでしょう。しかし、現実は非情です。誰もが自分のノルマに必死な場所では、他人の苦労に目を向ける余裕などありません。上司からは当然の如く感謝されず、現場からは疎まれ、ただ自分の評価だけが削り取られていく。自分一人が泥をかぶれば丸く収まると言えば聞こえはいいですが、それは単なる自己犠牲の浪費に過ぎないのです。
親切心が「毒」に変わるとき
心が擦り切れてくると、人間関係の扱い方にも変化が生じます。特に痛感したのは、男性がついやってしまいがちな「親切心からのアドバイス」の無意味さです。
相手を思って提案したとしても、その瞬間は聞き入れられたように見えて、翌日には元の黙阿弥。それどころか、受け取り方によっては「マウントを取られた」と不快感を与えてしまうことさえあります。余裕のない人間にとって、正論は時に攻撃と同じ色を帯びてしまうのです。
心を擦り切らさないための「凪」
今日という一日は、ただマイナスな感情を書き連ねることでしか保てないほど、私の中の何かが摩耗してしまいました。他人に期待せず、自分を過剰に安売りせず、ただ「ノルマ」という名の荒波を淡々とやり過ごす。今の私には、そんな防衛策しか残されていないのかもしれません。
もし同じように、誰にも気づかれない場所で泥をかぶっている人がいるなら、せめて自分自身だけは「よくやっている」と声をかけてあげるべきなのでしょう。冷え込む夜に、少しばかり自分を甘やかす時間が必要だと、擦り切れた心に言い聞かせています。






