浦島太郎が刀に!? 渡辺美術館で見た『浦島虎徹』の不思議な魅力
短刀に刻まれた浦島太郎――?そんなユニークな名刀の復元刀『浦島虎徹』を、鳥取市の渡辺美術館で見てきました。刀剣ファンにとっては「虎徹」の名だけでも心が躍りますが、この短刀にはさらなる謎が込められていました。
『浦島虎徹』とは何か?
渡辺美術館に展示されていたのは、鳥取池田家に伝わる短刀『浦島虎徹』の復元刀です。反りの少ない平造りで、木目のような板目模様がとても美しく、刀身自体が一つの芸術品のようでした。
彫られた図柄の意味とは?浦島太郎?それとも孟宗?
刀には浦島太郎と竹と見立てられる彫りが施されており、そこから「浦島虎徹」と名付けられたと伝えられています。ただし別説もあり、「二十四孝」のひとり“孟宗(もうそう)”を描いたものではないかという見方もあります。
真相は、製作者本人か、依頼者にしかわかりませんが、鳥取藩主・池田家には「浦島乕徹(はことら)」の作として伝えられています。
刀鍛冶・長曽祢虎徹という人物
虎徹といえば、名刀を生んだ刀工・長曽祢興里(ながそね おきさと)です。江戸時代初期に活躍し、元は甲冑師でした。50歳を過ぎてから江戸に出て刀鍛冶に転向し、短期間で多くの名作を世に残しました。
虎徹の銘と作風の変遷
出家後、「虎徹(こてつ)」と名乗るようになり、時代によって銘の書き方も変化しました。初期は「古鉄」、1658年には「虎徹」、1664年以降は「乕徹(はことら)」と記されています。
作風も時期によって異なり、初期は大小の互の目が対になった「瓢箪刃(ひょうたんば)」、後期には刃文の頭が揃った「数珠刃(じゅずば)」が見られます。
現代に伝わる“虎徹”の魅力
虎徹の刀には、「石灯籠切虎徹」や、新選組・近藤勇が所有していたとされる「長曽祢虎徹」など、国の文化財に指定されたものも多数あります。鉄の扱いに長けていたことから、刀身には倶利伽羅、不動明王、風神雷神といった高度な彫りも刻まれています。
まとめ:短刀に刻まれた歴史の物語
『浦島虎徹』は、美術品としての価値に加えて、名工・虎徹の歴史や刀剣文化の深さを感じさせる一振りです。刀に興味のある人も、そうでない人も、この短刀に刻まれた“物語”に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。






